好きなものは好きだからしょうがない

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DBH:チャプター4

マーカス編/画家

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動画リンク:http://youtu.be/Kce_9CaVCf0

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 閑静な住宅街にバスが滑り込む。マーカスはバスから降り、停留所の目の前の豪邸に向かった。そこは、マーカスの持ち主である、カールが住む家だ。
 
「セキュリティーを解除。おかえりなさい、マーカス」
 音声と共に自動でドアが開く。マーカスは、買った品物を玄関に置き、上着を脱いでカールを起こすために2階に向かった。ホールを抜け、ベッドルームに入ると、想像通りカールはまだ眠っていた。老人は朝に強いとよく言われるが、カールにはそれは当て嵌まらない。もう75になるが、10年程前にマーカスがこの家に来てからずっと彼は朝が苦手だった。
 カーテンを開け、外の光を取り込む。一気に部屋が明るくなり、それで漸く目を覚ましたらしいカールが眩しそうに手を目の前に翳した。
「おはようございます、カール」
「おはよう……」
「もう10時ですよ。天気は一部曇り、気温は12℃。湿度80%で、午後には小雨が降るかもしれないそうです」
 カールは枕を背中側に移動し、半身を起こしながらマーカスに答える。
「ベッドで過ごすのにもってこいの日だな」
「注文した絵具を受け取ってきました」
「そうだ!忘れてたよ」
 会話しながら、マーカスはカールの隣に移動し、椅子に座ってベッドサイドに置いてある注射薬を手にとった。心臓に持病のあるカールのために処方された注射薬だ。毎朝、カールにこれを投与することがマーカスの日課の一つだった。
「そこがお前と私の違いだな、マーカス。お前は物忘れをしない」
 カールの言葉を聞きながら、注射薬を専用の注射剤ケースにセットする。
「それじゃあ、腕を出してください」
「いやだ」
 カールは、時々こういう子供じみた駄々をこねる。「カール」と、教師が聞き分けの悪い教え子を諭すような声色で名前を呼ぶと、しぶしぶといった様子で腕を出した。
「起きて早々歯を食いしばれというのか」
 マーカスはそれには答えず、カールに微笑みかけて針を刺す。皮膚に針が刺さる瞬間、痛みにか、カールが僅かに顔を顰めた。薬を投与している間、カールが呟くように言う。
「人間は脆い機械だ。いとも簡単に壊れる。ここまでしないと、生きられない」
 その言葉に、カールの方を見る。カールはよく自嘲するようにこういうことを言う。しかし、出会った頃の何も言わず、昏い目でされるがままだった状態と比べると、文句を言いながらも生きようとしてくれていることはとてもいい傾向だ。
 マーカスの視線に気づき、顔を上げたカールの顔は驚きに変化し、その肩に手をかけながら問いかける。
「おい、その服はどうした?」
 言われて初めて気づく。先程デモの集団に転ばされた時に服が破れてしまっていたようだった。
「ああ、これは街角でデモに出くわしてしまって」
「愚かな奴らめ……。アンドロイドを1体壊したところで、何か変わるという訳でもあるまい」
 カールは忌々し気に呟き、一転、心配そうな声色で続ける。
「ケガをしていないといいが」
「ああ、いえいえ。押し倒されただけですよ。平気です」
 ピッと小さな電子音が鳴って、注射器が薬液の投与が完了したことを知らせる。
「これでよし」
 マーカスはカールの腕から注射針を抜き、その腕をゆっくりベッドに下ろした。
「それじゃあ、シャワーを浴びましょう」
 そうカールに告げると、マーカスはカールの細い体の下に腕を差し込み、抱え上げた。カールは10数年前に交通事故に遭ってから、下半身が不自由となった。そんなカールに友人のイライジャ・カムスキーが贈った特注アンドロイドがマーカスである。マーカスはこの家に来て以来、こうしてカールの身の回りの世話をしながら暮らしてきた。
 
 シャワーから戻り、カールを車いすに乗せた。いつものように和やかに会話をしながら1階のホールリビングへと押していく。
「今日は何か予定があったかな?」
「ええ、今日はMOMAの回顧展の公開初日ですよ。責任者の方が、参加確認のメッセージを何度か残されてました」
「まだ決めてなかったな。また後で返事をするとしよう」
「ええ」
 階段の傍に取り付けられた車いす専用の昇降装置に、カールが乗った車いすをセットする。カールを載せた昇降装置がゆっくりと自動で階段を下っていくのに合わせて、マーカスも階段を降りながら会話を続ける。
「他には?」
「ファンからのメールです。返信しておきました」
「レオから連絡は?」
「いいえ、カール。お電話しましょうか?」
「いや……その必要はない」
 1階に着き、セットした時と同じように車いすを昇降装置から下ろした。車いすを押し、ホールリビングに移動する。車いすのカールのために、すべてのドアはスライド式で自動で開閉するタイプのものだ。カールは世界的に著名な画家であり、アンドロイドに仕事を奪われ貧しくなる国民が増えるこのアメリカで、いわゆる富裕層と呼ばれる種類の人間だった。
 
「腹が減った」
「ベーコンと卵をお好みのスタイルで用意してありますよ」
「ああ、ありがとう」
 カールを食卓に連れていき、台所から、用意していた料理を運んできてサーブする。今日のメニューは彼の好きな、強めに焼いたベーコンと半熟の目玉焼き、コーヒーとフルーツだ。カールはマーカスに礼を言いながら、フォークを手に取り、いつものように横で待機するマーカスの方を向いて告げる。
「朝食を食べている間は、自由にしていなさい」
「ええ、そうします」
 機械であるアンドロイドに自由にしろ、などという人間をマーカスはカール以外知らない。初めて言われた時には戸惑ったが、最近は素直にその言葉に従うようにしていた。客間を兼ねたこの広いホールリビングにはピアノもあるし、チェスもある。さて、今日は何をしようか。考えながら歩いていると、本棚が目についた。先日読みかけていた本を手に取り、栞を入れたところから読み始める。
 
 食事を終えたカールがマーカスのところに近寄り、声をかけてくる。
「何を読んでるんだ?」
マクベスです。以前、勧めていらしゃったので」
 笑顔で答えるマーカスに、カールも微笑みながら更に問いかける。
「それで、感想は?」
「人間の感情はとても……興味深い。でも、ちゃんと僕がそれを理解しているとは思えません」
「人間だって理解していないさ。人は感情に支配され、感情次第で乞食にも王様にもなれるんだ。
感情なくして、生きる意味はない」
 遠いところを見るような目でマーカスを見ながら、カールは言葉を続けた。
「私がいなくなったらお前も、自分で身を守り、道を選ぶことになる。自分は誰なのか、どうなりたいのか。人間は皆、同じであることを求めるものだ。だが、その言葉に惑わされてはならんぞ」
 マーカスは何も答えられずにカールを見つめる。マーカスは、カールの世話をする為に造られ、生きている。カールがいなくなった後のことなど、考えたこともなかった。
「さあ、スタジオに行こう」
 カールが明るい声でマーカスに声をかける。それに頷いてカールの背後に回ってその車いすを押しながら、マーカスはカールの言葉を頭の中で繰り返した。──自分は誰なのか、どうなりたいのか。
 
 カールが今手掛けている作品は、かなり大型だ。3m角くらいの大きさのキャンバスに、クレーンに乗って色を足していく。青一面の中にぼんやりと浮かび上がる人間の横顔は、泣いているようにも、眠っているようにも見えた。
 筆を止め、クレーンから降りてきたカールが、マーカスに声をかける。
「じゃあ、意見を聞かせてくれ」
 カールはよく、マーカスにこうして、絵の感想を求めてきた。それに対して、マーカスは極力率直に感じたことを答えるように努めている。
「この絵には、何かが秘められている……それが何かは、分かりません」
「ふむ」
「でも、僕は好きです」
 その答えをどう思ったのか、カールが自分の絵の方を向いたまま、首を振り、ため息をつく。
「正直言って、もう何も言うことはない……。こうして日々が過ぎ去るごとに死が近づいてくる。私はブラシにすがりつく、ただの老いぼれだ」
「カール……」
 そんなことはない、今も世界にはカールの絵を求める人は沢山いるし、今描いている作品だって素晴らしい。そんなことを言わないでくれ。色々と言いたいことはあったが、どれもカールが求めているものとは違う気がして言葉にならなかった。カールが気を取り直したように、マーカスの方へ向き直る。
「私の話は置いといて、お前の才能を見せてもらおう。筆を取って、描いてみなさい」
 突拍子もない言葉に、マーカスは目を瞬かせる。
「描くっていっても……何を描けば?」
「なんでもいいから」
 ほら、とパレットを渡され、スタジオの片隅に置いてあったキャンバスの方へ向かされて背を押される。マーカスはため息をつき、キャンバスに対峙した。辺りを見回して、モチーフを探す。ちょうど、目の前にあったデッサン用の彫像を見つけ、それをキャンバスに描き写していった。精密なコンピュータで制御されたマーカスにとって、写真のように精密な絵を描くことは、造作もないことだ。十分程で、キャンバスには寸分変わらない目の前のモチーフが描きあげられた。
 その絵を見て、カールが口を開く。
「これは現実の完璧な、”複製”だ」
 マーカスは改めて自分の描いた絵を見る。その通りだ。目に見えたものをそのまま描き、その通りの結果が目の前にある。そんなマーカスに、カールは続ける。
「だが絵画では模写するだけではなく、自分が感じたことを解釈し表現することが大事なんだよ」
 カールにまっすぐに見つめられ、マーカスはもう一度ため息をついた。
「無理ですよ……そういう風にはプログラムされていません」
「さあほら、筆と、その新しいキャンバスを使って」
 カールはマーカスの返事など聞こえなかったかのように、新しい絵を描かせようとする。マーカスは戸惑いつつも、カールの指示に従って新しいキャンバスをセットした。
「マーカス、目を閉じてみなさい」
 カールが何をさせたいのか分からず、困惑する。しかし、

カールの大丈夫だ、という言葉に観念するように瞼を下ろした。
「存在しない何かを思い浮かべろ、見たことのない何かだ。そして自分の感情に、意識を集中させて、気の向くままに筆を動かすんだ」
 カールの言う通り目を瞑って筆を動かす。先程カールに言われた言葉がよみがえる。自分は誰なのか、どうなりたいのか。マーカス達はアンドロイドだ。ではアンドロイドとは一体何なのだろう。胸を満たすこの感情は、単なる二進法のデータの羅列なのだろうか。人間が感じている感情と、マーカスが感じているこれは、何がどのように違うのか。人間と同じように、自分たちアンドロイドにも”運命”というものがあるのだとしたら──。
 筆を止め、目を開く。目の前のキャンバスには、荒野でまっすぐにこちらを見る男がいた。両ひざをついて腕を投げ出すその立ち姿は、まるで自分の身を捧げる殉教者のようだ。男は、全身の至る所から青い血を流し、こちらを責めるような、挑むような目を向けている。右のこめかみには、異常を知らせる赤に染まったLEDリングが光っていた。その男が自分によく似ていることに気づき、マーカスは少なからず動揺する。
「……素晴らしい」
 カールが目を細め、称賛の言葉を口にする。
 
 その時、スタジオの扉が唐突に開いた。中から、目の座った若い男が顔を出す。
「よお、親父」
「レオ……」
 親父、と呼ばれたカールが若い男に返事をする。
「来てたのか、気が付かなかったよ」
「ああ、近くに来たから寄ってみたんだ。しばらくぶりだしな」
「どうした?具合が悪そうだぞ」
 話ながら、レオと呼ばれた男がカールに歩み寄る。その足取りは、カールの言う通り、どことなく覚束ないものだった。
「ああ、ああ。平気だよ」
 そしてニヤニヤと笑いながら言葉を続ける。
「なぁ、親父。金が必要なんだよ」
「またか?この前、渡したばかりだろう?」
 レオは、カールが二十数年前に、愛人との間に設けた実の息子だ。数年前までその存在を知らず、一緒に住んだこともなかったが、存在を知ってからは認知している。以来、時々こうしてふらりと現れては、カールに金の無心をするのが常だった。
「ああ、ほら、すぐなくなっちまうんだ」
 へらへらと笑いながら言うレオに、カールは静かに問いかける。
「また薬をやってるのか?」
「違う、違うよ。全然そんなんじゃないって」
「レオ、私に嘘をつくな」
「いいから金くれって言ってんだろ!!」
 カールの言葉を聞き、それまで笑っていたレオが急に声を荒げる。マーカスは警戒し、持っていたキャンパスを置いてレオに一歩近づいた。
「悪いな。お前に金はやれない」
 カールはレオの様子にも臆すことなく毅然と答える。
「は!?何で?」
「わかっているだろう!」
 レオは横で見つめるマーカスの方をちらりと見て、一歩下がる。そしてマーカスを指さしながら言葉を続けた。
「ああ、そういうことかよ。どうせ、自分の息子よりそのおもちゃの方が大事なんだろ?あ?」
 マーカスの方に向き直り、歩み寄りながら続ける。
「こいつのどこがそんなにいいんだ?賢いから?従順だからか?…俺と違って!」
 マーカスの顔に唾が飛んでくるくらいの距離にレオが迫る。
「だけどな、こいつはあんたの息子じゃねえ。ただの機械だ!」
 そう大声で叫びながら激昂したレオがマーカスの肩を両腕で強く押した。マーカスはバランスを失ってよろめく。
「レオ!いい加減にしないか!」
 カールが大声を出し、レオがカールの方に向き直る。そしてカールと、マーカスが描いた絵を見比べて、悔しそうに言う。
「…あんたが愛してるのは、自分と自分の絵だけさ。人を愛したことなんて、一度もないんだろ」
 そこまで言うとレオは、踵を返し、スタジオを出ようとする。
「……俺のことだって」
 扉のところで立ち止まり、捨て台詞のようにそう呟く。今度は振り返らずに、走り去るような勢いで飛び出していった。
 
 静寂の戻ってきたスタジオには、立ち尽くすマーカスと苦い顔で俯くカールが残されていた。